2012年春、モード界を駆け巡ったビッグニュースは人々を歓喜させ、そして10月1日パリ、帰還者は喝采を以って迎え入れられた。
その者の名はエディ・スリマン。かつて確実にモードの世界に革命的変流をもたらし、信者とも言うべき熱狂的なファンをもつモード界の寵児、カリスマである。
果たして人々を虜にしてやまないエディ・スリマンとは。
プロフィール
1968年、チュニジア人の父とイタリア人の母の間にパリで生まれる。超難関エリート校であるグランゼコール、パリ政治学院を卒業。その後、ルーブル美術学院で美術史を学ぶ。服作りは10代の頃からスタートさせているが、すべて独学で正規の教育は受けていない。彼のスタイルの根底にあり、彼自身も傾倒していると言うロックという要素を鑑みるに、エリート養成校であるグランゼコールで政治を学んだというのは興味深い。ロックとはカウンターカルチャーであり、反骨である。ロックの精神を持つものが政治を学ぶ。
経歴
・キャリアのスタート
92年~94年ジョゼ・レヴィのメゾンでファッションディレクターまで勤めあげ、94年~97年ジャン・ジャック・ピカールの下でアシスタントを務める。
97年、当時無名であったエディ・スリマンだが、「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ オム」のアーティスティック・ディレクターに抜擢され、98年からはジーンズライン「サンローラン」(現在は消滅)も手がける。(少なくとも一般的な評価においては)さしたるインパクトを残せないまま、グッチ・グループによるイヴ・サンローラン買収騒動の中2000年辞任。当時レディースを指揮していたアルベール・エルバスもエディに先んじて辞任している。また、グッチ傘下となったイヴ・サンローランはリヴ・ゴーシュのデザイナーに2001年よりトム・フォードが就任し、大きな話題となった。
・ディオール・オム
2000年、「ディオール・オム」の初代クリエイティヴ・ディレクターに就任。2001-02A/W初コレクション発表。ロックをエディのメソッドによって解釈しモードへ昇華させた、もしくはモードをロック的視点によりリファインしエディの手でビジュアル化したそのセンセーショナルなコレクションは、黒を基調とし、レザー、タキシード、ビジューなどのアイテムとタイトなシルエットのスーパースキニースタイルによるスーツはイノベーションと呼ぶにふさわしく、のちのモードにメンズだけでなくレディースにおいても多大な影響を与えている。以降のコレクションにおいても、常にモードを牽引する活躍をみせ世界中の注目を浴び続けた。2002年には、CFDAインターナショナル・デザイナー・オブ・ジ・イヤーを受賞している。
エディの打ち出したスタイルとトレンドは人々を魅了し、一般人のみならずセレブリティやモード界においてもエディのファンを公言してはばからない者も少ない。”モードの帝王”カール・ラガーフェルドがエディの手によるスーツを着るため42kgものダイエットに成功しディオール・オムのスーツを買い込んだという逸話はあまりにも有名で、彼は今でもエディのスーツを愛用してる。
2007年、契約満了に伴いディオール・オムのクリエイティヴ・ディレクターを退任。最後のコレクションは07-08A/W。後任はクリス・ヴァン・アッシュ。
・その後
強力なトレンドセッターを失ったモード界の喪失感とは裏腹に、エディ自身はフォトグラファーとしての活動や家具のプロデュース、ロックバンドとの親交を深めるなどマルチに活躍していた。だがディオール・オムを知る者たちは物足りなさを感じ、エディのモード界への復帰を待ち望んでいた。しかしモードとは移り変わりの早いもので、新たなトレンドセッターが生まれるのがモードの常。新たなトレンドが提案されると喜んで身に纏う。エディ・スリマンは記憶の片隅に焼き付いているのだが、やがてスキニースタイルを脱したモード界は2011年ごろビッグシルエットがトレンドの兆しを見せ始めた。
2012年、イヴ・サンローランに復帰。すべてのコレクションを統括するクリエイティヴ・ディレクターに就任するとともに、呼称をYves Saint Laurent(イヴ・サンローラン)からSaint Laurent(サンローラン)に変更。ロゴなども一部変更した。2012年10月1日、パリ・コレクションにてサンローランのファーストコレクション2013S/S(レディース)を発表。同日サンローランウェブサイトにてメンズも発表。
エディ・スリマンとは何者なのか
日本で言えばキャリア官僚を排出するような学校にあたるグランゼコールを卒業したエディ・スリマンはたしかに知性を湛えたたたずまいを見せているが、だが衝動を抑えきれないロックンローラーのようでもある。フォトグラファーとしてはビッグメゾンの広告を手がけるほどである。サンローランの最初の広告もエディの手によるもの。展示会の装飾小物や棚などをデザインすることも。言葉は哲学に溢れ、コレクションはナイーヴでエロティックでありながらも力強い。男性服の中に女性っぽさを内包している。その逆もまた。実にさまざまな要素が、絶妙なバランスで成り立っている。彼の産まれがそうであるように、ミックスこそが彼の本質なのであろうか。エディは、ロックを貫くことしか出来ない、ロックにありがちな男なのではないかと私は思うわけです。新しいサンローランのコレクションでも、オレにはこれしか出来ない!と言わんばかりの相変わらずのスキニースタイル。現在のトレンドに反発するかのようなそのシルエットはまさしくロックであり、その精神もロックンロールである。
ディオール・オムのヒットは誰にも否定のしようもない熱狂であったが、当時の時流や社会情勢にエディのトレンドがマッチしたこともあるだろう。己を律するかのようなタイトなシルエットに、折れないロック・マインドを持ち合わせることがおそらく当時を生き抜く最もスマートな手段だった。だが今は、あがいても無駄ならゆったりと構えるという静かな余裕を持つ方向へシフトしている。
だが、あがくのだ。反発し、己の生きる道を必死に探し、答えを求め続ける。ロックを貫く。そのためにも彼は知識を身に付け、針を手にし、シャッターを切り、音楽を聴くのだろう。
別の視点から見ると。
彼のもっとも長けている点はバランス感覚ではないでしょうか。なんだか色々ゴチャゴチャしている彼ならではのバランス感覚。ロックとエレガンスを両立させたファッションデザインにおいてのみならず、商業的な面でもそれが感じ取れます。己の立ち位置を理解して立ちまわるのが巧いのでしょう。ディオール・オムにおいてはメゾン渾身のチームを統括しラインの立ち上げを成功させ、メゾンを去る際も惜しまれつつであり、己の価値を下げなかった。サンローランにおいてコレクションを発表する前は、その期待値の高さを完璧に理解し、あえて情報をシャットアウトすることでパリの注目を一身に集めることに成功した。一部の関係者のみに撮影厳禁で先行公開して、実態の掴めない情報を流すことも忘れない。エディ自身のメッセージやイメージによる発信はまったく無かったことで、逆に神秘性を帯び実に効果的であったと言えるだろう。9月末にはエディによる広告が打ち出されたり、サンローランウェブサイトが特別仕様に変更され、多くの人がコレクションの発表を心待ちにカウントダウンしたことだろう。いざ発表されたコレクション(かねてより熱望していたレディース)は、言ってしまえば何てことはないもので、かつてのイヴ・サンローランの焼き直しだったのですが、それがまたすごいバランス。最初からチャレンジではなく、オマージュというテーマをチョイスし、そこにエディのエッセンスを加えて新しいサンローランが始まることを提言するにとどまっています。言ってみればリメークとリファインなのでエディ・スリマンほどのデザイナーであれば巧みにまとめあげ、期待値が高かった分だけ絶賛を持って迎えられたわけです。次のシーズンはエディのカラーを打ち出してくるだろうという期待も含ませた、戦略面においても素晴らしいコレクションだったと思います。また、サンローランのロゴ変更も新規顧客の獲得に重要な役割を果たすでしょう。そのサンローランはもうエディ・スリマンが作ったものであり、エディ・スリマンなのです。エディ・スリマンのファンはサンローランではなくエディを着るのですから。
再びモード界に降り立ったカリスマ。彼の進む道の先で、果たして何を見せてくれるのだろうか。まずはディオール・オムのエディ・スリマンを払拭し、サンローランのエディ・スリマンとなれるのか、注目が高まる。
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エディ・スリマンが後のモードに与えた影響は先述したとおりで、ディオール・オムでエディのアシスタントを務めたクリス・ヴァン・アッシュやニコラ・アンドレア・タラリスのみならず、多くのデザイナーにも影響を与えている。200年代初めの日本においてもエディのディオール・オムは熱狂的に支持されたがその価格帯から手にできる消費者は限られており、代わりに手頃な価格のコピーが出回った。今でもよく見かけます。しかしよく語られることだが、エディ自身も同い年のデザイナー、ラフ・シモンズの影響が色濃く見られる。両者の共通項も興味深い。
HEDI SLIMANE OFFICIAL
Yves Saint Laurent
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